かなた

忘れてしまうっていうのは本当に怖くて、悲しい
自分という存在を忘れられるのも、誰か、何か、大切な思い出を忘れてしまうのも
忘れてしまえば悲しいという事すらも感じなくなる
記憶の奥底に眠っているのか、それとも最早この世界のどこにも存在しないのか
過去はスナップ写真の様にいつまでもその瞬間に在り続けるのだと私は勝手に思い込んでいる
だから例え忘れようが偽ってしまおうが、その時、そこであった出来事は、いつまでもそこに存在し続ける

でも私が生きているのは常に更新され続ける「今」
スナップ写真を見に行く事は出来ない
その情景を感じる事は出来ない
だから結局の所、忘れるのは悲しい



あああには少し歳の離れた姉がいた。あああの姉は看護師になる為に一人、家族の元を離れて下宿しながら看護学校に通っていたのだ。いつから姉のいない生活をしていたのかは、思い出せない。あああは夢を見た。それはあああが11歳の時、小学5年生の頃に見た夢。現実と交差する夢の中で、あああは母親がブラウニーを作っている姿をキッチンテーブルの椅子に座りながら見ていた。天窓から差し込む太陽の日差しが心地良かった。ふと、あああの口から言葉が溢れた。「そういえばお姉ちゃんって今どうしてるの?」無意識の問い。「何を言っているの?あああ、あなたにいるのはお姉ちゃんじゃなくて妹でしょ。あの子なら外でキックボードで遊んでいるじゃない」と当たり前の様にいつもの調子で母親は答える。その口調に何故自分があんな質問をしたのか不思議に思った。あああは忘れていたのだ。あああは思い出した。でも最後にあああは忘れてしまった。ここはあああが愛していたお姉ちゃんがいない世界。記憶の糸がほつれた瞬間に起こる小さな奇跡は、ほんの一瞬で溶けてしまった。やがてあああは夢から覚める。朝。今日は土曜日。土曜日はいつも家族の誰よりも先に起きて着替えもせずにパジャマのまま郵便ポストをチェックする。チラシなんかは全部無視して、封筒を1通持ち帰る。それはお姉ちゃんからの手紙。家族が起きるまでの時間、誰よりも先にその手紙を読むのがあああにとっての至福の時間。手紙を読み終えたら、きちんと封筒に戻して家族がすぐに気付くようにとそれをキッチンテーブルの上に置いておく。そして皆が起きてくるまでリビングのソファで二度寝するのであった。




それすらも忘れていたなんてね