いまをいきろ

奇跡体験アンビリーバボーを見た
美徳、日本語の持つ美しさ、戦争、命、尊いもの、色々考えてしまう
純情、花の価値、沢山の手紙
何だろう、この虚無感は


自分はまた「今」を生きる事が出来ていない
中学〜高校までは「今」を直視できず「未来」を見ていた
今の自分は、当時の自分から見た「未来」にいる
それはつまり端的に言うなれば、日本での暮らし(可笑しな話と思われるだろうが、当時の私は自分が日本で生活する事は信じられなかった)
けれどついに訪れた「未来」に落胆、絶望してしまっている
勝手に膨らんでいった期待と日本(人)の現状との差異が激しすぎて

だからこの両の目は「過去」に向かってしまったのだろうか
それはまた自分を追い込んでいるだけなのだ


「常識は30年続かない」という
過去の世界に現在を生きる自分の存在意義を求めたって意味が無いじゃないか
当時の美徳、価値観、その他諸々は現在、存在しない

根本的に私は弱い人間です、恥ずかしいほどに
現実を直視できない
いつまでも逃げ続けてる
自分の生き方をまだ模索してる
思春期が終わらない、それは素敵な事では無い
稚拙な言動で罪を増やしている



「今を生きろ」
僕(私)はどこへ行くの?

生きる意味は誰も与えてくれない
それは自由と解釈する事もできる
自分の命は自分だけのものではない
与えられた自由をうまく扱う事ができていないんだ、今の人間



死にたくない、永遠に生きたい、と中学の頃は考えてた
でも今はもう、そう思えなくなった
現実を知らない目は美しかっただろうか
怖いものだらけ、怖い人、怖い思想、理解できない世界が広がっている
それが現実
居場所は無い


「ドウシテアナタハ狂ツテルトイウノ」
解らない、
まだ
ごめん