ぼくらはみんないきていた

憎しみは生きる原動力にならなかった
だけど、死なない理由、死ねない理由にはなっていた
クソみたいな奴らのせいで死ぬなんて勿体なくて、高校という牢獄を出ればやりたい事がやれると信じて過ごしてた
今思えば、憎しみが絶えず滲み出てる落ちこぼれの生徒の一人でしかなかった自分の生きる原動力は結局、期待や希望だった
狭い世界でずっと育ってきた自分に想像出来るのはやはり狭い価値観の中で培われた知識から生まれる景色だけでしかなかったんだ
この手で触れた時の感触はフィクションの物語の一部に過ぎない
そのような感覚で
時間だけが救ってくれる、でもその時間がいつまでも縛り付ける、それは永遠の様に感じられた

約10年ぶりに日本に帰国してから2年が過ぎた
暖かくなってくると学校が終わる季節が来る
毎年の春の訪れと暖かい気候は色んな理由から、陰鬱な心に光を射してくれていた
その錯覚を未だ引きずっていて、どうも暖かくなると気持ちも何故だか晴れやかな気分になる
しかしこう暑いと、ただただ嫌いになってしまった夏が待っているのを実感して結局負の感情が出てきてしまう

四季や環境に関係無く、ニュースを見ていると気が滅入る
予防策に意味はなく結局事件が起こってからしか新しい政策は生まれない
結局いつも手遅れで、誰かが人柱になり初めて「この過ちを二度と繰り返さないように」と誓う人達が出てきてまたどんな意味があるか解らない規制を作る
人間だから、過ちを犯すから、誰だって失敗する、誰だって間違える
意味が解らなくたって仕方が無い
何かが起こるまで危険性には気付かない
それは仕方の無い事だってのは解ってるけど、どうしていつも手遅れなんだろう、と感じてしまう

今日は何人死んで、何人産まれてきたのだろう

昨日の朝から喉が痛くて、この感じは恐らく風邪を引いている
自分の体調や気分を把握、コントロール、調整が出来なくて、いつも気付いたらどん底、病気、最悪、な状態にある
徐々に気分が下がる、ではなく気付いたらどん底にいる
時間だけが救ってくれる、と高校の頃は諦めるしか無かったけど、今は自分の足で好きな所へ行き、好きな事をして息抜きが出来る
良かったね、生きていて

みんな死んじゃうけど、みんな生きていた
どんな環境で育ち、どんな生活を送り、どんな人に出会い、どんな価値観を持ち、どんな死を迎えたのだろう
世の中には想像も出来ない程悲惨な事件に巻き込まれる運命にある人々がどれほどいて、
今自分がこうやって平和に生きて平和に憎しみ合える状況はなんて奇跡的なんだろう
クソみたいな奴らのクソみたいな言葉にわざわざ付き合ってあげる程お人好しである必要は無いんだよ
今こうやって生きているという事、についてもっと考えて
たとえしんでからでもいいからいきていたころのはなしをしよう