白い扉がまた開く

ふとしたきっかけで高校の頃よく聴いていたART-SCHOOL、THE NOVEMBERS、the cabsを最近また聴いている
キャブスは解散したし、ノーベンバーズはなんとなく雰囲気が変わった様に感じてしまい(そんな事はないのかもしれないが)、アートスクールはほぼ毎年新譜を出してるのに何作か買いそびれたのがあり、それによってなんとなく取り残された感覚を勝手に持っていた
とは言っても、聴かなくなるのに理由は無い
上に述べたのはどれも後付けだろうし、単に環境が変わったりしてるだけだったりする
というより、それが全てだろう

だからこうやって、実に数年ぶりにしっかり彼らの音楽を聴いていると、聴いていた当時の自分自身の心情や置かれていた環境を思い出す
当時、自分の中の"潔癖さ"に近いものをこのバンド達から勝手に感じていて、それに救いに近いものを得ていた様な気がする(特にTHE NOVEMBERSの「バースデイ」という曲は今でも自分にとってとても大切な一曲)
それは感覚的なもの、直感するものであって、具体的な説明が私には出来ない
そして同時に、いつの間にか自分がその潔癖さに蓋をしていた事にも気付いた

潔癖であると何かと生き辛い
生きにくさと直結する潔癖さ
それは本当だった
改めて、潔癖故の生きにくさを痛感している
自分を取り巻く世界の醜さを再度、認識してしまった
どうしようもできない事ばかりで一方的に擦り減り憔悴していくだけ
潔癖な心と、穢れた体で
そんな自己矛盾を抱きながら

しかし、この潔癖さは私自身を形作る大切な価値観でもあった
此処は再度、醜い世界
けれど私は学び、変わった
そこに無理に適応しなくてもいいんだ、と
穢い物を見ない様に目を塞がなくても、汚い言葉を聞かない様に耳を塞がなくても、ただこの世界のあるがままの姿と向き合う
他の誰でもない自分自身として

色んな事を知った
それらから沢山の事を学んだ
傷付くのが怖くて、嫌われるのが怖くて、本心は壁を隔てた向こう側
こちら側とそちら側を、この扉は繋いでいた
その扉の開閉を自身で制御出来ないというのは情けない話だし、今後も出来る様になるかは、恥ずかしながら未だにわからない
けど私は他の誰でもない私として、矛盾している潔癖さを内包しながらもそれを受け入れ、この世界と向き合う事にした
その先にきっと、本当の幸せが待っている