夢を見た/電報

夢を見た
それは私の驕りを現したものだった
何かを認めようと、何かを受け入れようと、とことんその何かと、自分自身と向き合い、無い頭を使い考えてきたつもりだったのだけれど
しかし昨夜、夢という形で潜在意識が問いかけてきた事はそんな1,2週間の思考を否定しかねないものだった
ただ目を背けていただけなのだろうか?自分を納得させようと、相も変わらず己の心を騙し、結局また本心は引き出しの奥深くに追いやってしまっていたのではないか?辛いのが嫌だからってまた私は別の逃げ道を探していたのだろうか?

そんなはずはない
なぜなら私は変わったのだから
事象の自己解釈、物事に取り組む姿勢、そして自己認識
私自身が抱く私自身の像の再構築が成された
そう、私は変わったのだ
だから早く帰ろう
自らの過ちに自身で気付く事が出来なかった愚かな自分を変えてくれた処へ
しかし、まだ時は満ちていない
いくらなんでも早すぎるだろう
まだ偶然、気のせい、といった言葉で片付けられるほどしか時間は経っていない
わかっているけれどそれで焦燥感は納得して引っ込んではくれないのだ
私が帰る家に誰が居て誰が居ないのかはその時になれば必然的に解る事なのだから、今現在考えたって仕方がないのだろうけど、考えてしまう
取り返しのつかない事になる前に、と
この極端に潔癖過ぎる思考の癖というものはどうにかならないものか
まぁ、焦らずにいこうよ



夢を見た
あなたが与えてくれた機会をきっかけに遂に私が変われたんだという事をどこかで知り、電報を寄越してきた
のであればよかったのだけど、違ったんだ
それは私の驕りを現したものでしかなかったから
酷く悲しく、酷く哀れで、とても恥ずかしい
そんな気持ちだけが残る夢
例えそれが私の驕りの体現であっても、目が覚めたときに電報が届いていて欲しかった
その背景がどんなものであれ、現実であって欲しいと心底願った
だって、私はもう変われた気がしているのだから
21日続けばそれは習慣になるんだって
考え方だって、意識的に21日間前向きに思考していれば、それすら習慣に変えてしまえるんじゃないかな
気のせいかどうかは、結局時間が経たないとわからないから、どんなに時間が経とうとも胸を張っていようと思う
それが本当になる日まで
そして本当になってからもずっとずっと胸を張って



また見失いそうになったけど、大した事じゃないではないか
俯瞰で、のたうち回る自分の情けない姿を見て、落ち着ける
だから私は大丈夫なんだ
もう大丈夫
大丈夫



皺々の爺さんと婆さんが縁側で串団子を食べている
聞こえるのは暖かい日差し、穏やかな風、お互いの体温、、、
そして「長生きした甲斐があった」と笑うんだった