見えない振りをしていたら気持ちは楽になっていく
けど、"振りをしてる"だけだという事には気付いてる
鈍感な振りをしているだけじゃあ何も変わらない

他人の目に映るお前の姿はお前自身ではない
だから何を言われたってどう思われたって関係無い
お前の本質はまた別の所にあるのだから
何も恐れる事は無いし、傷付く必要も無い
"ガワ"を見てるだけの奴らの言葉には何の価値も無い
ただ、お前の本質に向けてかけられる言葉は受け止めなければならない

日に日に心が空っぽになっていく

電車に乗っていたら広告動画に坂本龍一が出てた
「自分の音楽が分かってもらいたい時は?」という問いに対して
「分かるという事は誤解だと思う。誤解で良いと思う」と仰っていた
本質を突いた言葉は響く

それを聴いた本人がどう咀嚼して、どういった解釈を生むか、という事であろう
美味いも不味いも、本人次第


私は自分を主張する事が非常に苦手だ(と主張する)
長くは無い人生の中、失敗に失敗を重ね押し潰され続け、そこから僅かに残った滓だけで生存している
曲を作る上でも沢山の迷いがあった
こうすればあの人のような曲になるのだろうか、とか
どうしてあの人が作る曲に近付けないのだろう、とか
けれど、ある時ふと思った
自分の曲は、自分にしか作れない
自分にはバックボーンも経験値も無いから、狭い視野の中で模索しているのは間違い無いのだが、それでも今自分が歩いている道は誰も歩いた事が無い道なのかもしれない
地図が無い場所を通っているのだから、迷いが生じてしまうのは当然だが、歩を進めていく中で私はその地図を書きあげていっているのかもしれない、と

既存の曲に似た曲を作る能力に長けている人もいるだろうが、自分にはそれが出来ない
というのも、その行為自体に意味を見出せないから
既にあるものの類似品は、元となったものの劣化版に過ぎないのでは無いかと、昔から思っていた
それなのに、どうして自分は誰かの作品に似せて作ろうとしていたのだろう?
これに気付いてから、少しずつ変な迷いや躊躇が減っていき、アクセルを踏み込める様になっていった

しかし、こうやって文章を書いていながらも、持ち前の自信の無さが「正当化乙!w」と嘲笑してくる
これが本当に厄介で、自分に自信を持つという事がどれだけ大切な事かを、毎回実感させられる
それを持っていないからこそね

それでも、曲を作り続けていく中で、自分が表現出来る事の幅は確実に広がっているのは確かだ
この事実は私の世界が広がっているという事に直結している
私の中の私だけの世界が、広がっているんだ


もう誰も信じないと決めたのだから、何とか自分を信じられる様にならなくては
本当は逆で、自分を信じられるから誰も信じない、という形が普通なのだろうけど
それも普通ではないか
自分を信じる事が出来ない奴に他人を信じる資格など無い!という事かな
これも偏った考えだなあ
けどそう思え続けていれば、いつか自分を信じる事が出来る様になった時、他人も信じられる様になるのかもしれない
ポジティブ〆