時空の哲学

過去の自分がぽつりぽつりと点在している空間の整理は進まない。
妾は、今、ここに、いるのに。
でも、そこにも、いる。
「そこにも」が無限の奥行きで存在している。

孰れ時の非可逆性を覆せる日が来ると信じて日々を過ごしている。
その時が来た時にこの体が汚れていたら困るでしょう?
だからこうやって生きているの。潔癖な粘膜に包まれた世界で。

そうなると必然的に許せるものが少なくなっていく。
いや、許せないものが沢山ある。それが本音。
気付いた時には、許すという行為が出来なくなっていた。
許せるのか、あなたの大切な人が目の前で殺されたとして。服役すれば、反省すれば、罪は償えるのか。
極論だが、要はそういう事である。対象と行為を自由に当てはめてみよう。

排他的な世界を築き上げた時、断絶されていたのは自分自身だと気付いた。
それでも必ずその時が来る事を信じて。
という、この偏狭っぷり。何故こうなっているのだろう。
妾は何処で何を待っているのだろうか。

これから向かう所、
それは過去。
流れる時間は未来から過去へ。

その日が訪れた時にまた会おう。
そして次こそは幸せになろう。














というのが、川野裕太の哲学