幸せな事に

幸せな事に妾は非常に健康な身体の持ち主で、虫歯になりやすく左膝が悪いけれども、大きな病気に罹る事もなく健やかに育ってきました。だのにどうしてか知らん、十代の記憶がハッキリしないのです。他人に話さない事があって当然、恥ずかしいのだから。そのため恥ずかしい箇所を抜き取り話すため余計にあやふやになるのでしょう。記憶が曖昧で辻褄の合わない話は他人の中に存在する妾を一人に収めず増やしていってしまいます。物質的に一人しかいない妾は他人と接触する度、まるで無限に増えていく様に妾は何度も生まれ、呼吸を始めます。世界は毎分毎秒変わっていってしまい、記憶は塗り替えられ上書きされ更新される。そんな無責任な理に置いてけぼりを喰らった妾は今、まだ、子供のまま。甘えたい盛りなのです、それはもう赤ん坊の様に。身体は成長し、他人から見れば妾は他の大人となんら変わらない内の一人に過ぎません。誰も知らない、目に見えない妾は子供のまま。お金を稼ぐ方法を探さなくてはなりません。妾を産んでここまで育てて下さった両親にこれ以上恥をかかせてしまうのは避けたい思いで一杯なのですが、上手くいきません。お金だってそんなに求めていないというのに。妾には一人でいる時間が多すぎると弟に言われました。一人でいくら思考を巡らせても新しい発見は御座いません。妾が生きる必要性、妾が世界に及ぼす影響、なぞについて自問自問。今後どれだけ時間が過ぎようとも子供の頃には戻れぬ虚しさに心を枯らしながらも生きてゆく妾が幸せになる可能性はあるのか知らん。でもその可能性が空っぽの心の片隅に転がっていますため、呼吸をしているのだと思います。人生の絶頂期を小学生から中学生までの間に迎えてしまった気がするのです。「妾」自身がどこかへ飛んでこの老いてゆく身体を抜け出して子供の頃に戻りたいと日々願っております。いつか魔法使いが妾の前に現れて、あの身体に、あの日々に、妾を連れ戻してくれるのではと期待しているから、なるだけ妾の物である身体を薬や酒で汚す気にはなれないのです。そんな妾を見て若い身体で遊び尽くす友人は、それで楽しいか、孤独ではないか、と訪ねました。答えるまでもなかったので黙っていたら、涙が浮かんできて、あまりに唐突な出来事で泣くのも久しぶりだったため堪え方が解らずに溢れてしまいました。幸い友人は既に背を向けて歩き去り始めておりました。こんな記憶は要らないから、敢えてここに捨てます。あれ以来妾は泣く事が無くなったのですが、この記憶を捨てたおかげか、早速一方的な気持ちがゆらゆらし始めてきました。
どうか身勝手な妾を赦して下さい。何も哀しい事なぞ御座いません。海を越え別の国へ旅行に行った様な気持ちで妾の旅立ちを受け入れて下さい。立派な弟が家族に福をもたらし、妾は恥しか持ち合わせていなかったのですから、これは当然の結果ではないでしょうか。心臓が止まるその瞬間まで妾は魔法使いが来てくれるのを信じて待っております。何れにせよ妾は、この世界、この国、この町、この妾から去ります。この健康な身体から使える臓器があればどうぞ御自由に取って行って下さい。(もっとも、こんな妾のこんな身体の一部を欲する人がいるとは思っていませんが。)

それでは。